2018/01/02

ジャッジをしない

 

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俳優。メディテーター。 本質行動学、認知科学、コーチング論がライフワーク。 映画や舞台観劇、読書のほかに、旅することと、落語や講談を聴くことが好き。 こちらは個人アカウントです。 もしよかったら覗いてみてくださいませ( ͡° ͜ʖ ͡°)
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「正しい姿勢で座り、呼吸に意識を置いて、思考が出て来たら呼吸に戻る」

 

これを日々、実践しているわけですが、

この「思考」っていう解釈が面白いのですよね。

 

座らなくとも、ちょっと、5分でもぼーっとしてみたら分かると思うのですが

ひとってとんでもなく常に何か考えているのですよね

 

ぼーっとしてませんやんってお話ですが

ええ、してないんです。

 

それが、座ってみると浮き彫りに。

呼吸に意識を置くって思って座り始めたはずなのに

あれ、もうなんか考えてるってなる。

 

それは、過去のことだったり未来のことだったり、好きなひとのことだったり苦手なひとのことだったり

かけ忘れたかもしれない玄関の鍵のことだったりします。

 

でもでも。全部。ぜーんぶ、ただの「思考」

 

確かに。でしょ?

 

座っていて考えて「考えちゃった」って思う必要はゼロです。

 

ゼロ。笑。

 

気付いたら戻る。それを教わっても「あちゃー」と思ってしまう

 

いや、必要ない。

必要ないって言われてるんだから必要はないのです。笑。

 

 

「あー必要ないって言われてるのに考えちゃったー」

も無しです、笑。

 

無し!!

 

「気付く」練習なので、むしろ「考えた」と気付いた時点で何がダメなんだろうって話なんだけれどね。

正しいやり方で練習して、癖付けておかないと、陥りそうなところです。

 

 

この、過去も未来もなんでもかんでも、ただの「思考」って考え面白いなーってわたしは思っていて。

ほんと、そこに良い悪いって一人裁判大忙しなのですねわたしたち

自分で判決して自分が自分に裁かれる

脳内裁判(*゚.゚)ゞ

 

普段座っていて判決をくださなくなると、

日常でもリンクしてそういうことが起こります。

 

 

仕事で失敗して先輩にアドバイスをもらったとき、

「あーやってもうた、どうしてだ」

ってへこんでいると

もう次のアドバイスが耳に入らないですよね

失敗は変えられないのだから、解決に向けてこうしようってみんなが前を向いているなか

一人脳内裁判が始まります。

 

裁判始まっちゃうと周りが頑張っても、ちょっと時間がかかっちゃう

 

裁判から抜け出して現実に帰って来れたら

解決に向かえるのに。

 

これが全てです。

 

いいとか悪いとか脳内で起きていることは、脳内でしか起きてない

ぜんぶ思考。

 

現実の世界で起きていることが全て。

 

で、その脳内裁判してるときってしてることに気付けなかったりする。

でも、座って、気付く練習をしてるとね。

 

気付くんです。

あ。ただの思考に捕まっとるーって。

 

時間はもちろんまちまちだけど

それも、いい悪いじゃなくて。

「気付く」ことが大切っていう

 

ほいで、「いまここ」を練習しているわたしたちは

脳内裁判を抜け出して「いまここ」に居る様になるのです。

 

また、勝手に裁判が始まったら、笑。

 

また、戻ればいいのです。

 

マインドフルネス・メディテーションの練習と一緒。

 

 

もちろんね、座ってなくても、気付けるひともたくさん居ると思うんです。

事柄によっても深さは変わるかもしれないし、脳内裁判は誰にも傍聴できませんからね

 

でも、座ってる量とリンクしてるなーと思うのは

一度気付いたら、次に裁判初めても、「あ、また裁判してる」って自分で自分を客観視できるところかな

 

これが「ただの思考」って分かってると

「あ。戻ろ」ってなります。

 

だって「ただの思考」だもん。

 

って考えると、自分にとって目標があって動いている分、よりダイレクトに目標に向かえている感があります。

 

 

 

なんども言いますが「ただの思考」です。

 

 

「ただの思考」なのに悪魔役も天使役もやるのですねー

なかなか立派な役者ですな

 

で、そんな役者の「ただの思考」さんを深めてくれた言葉があるんです。

 

先日読んだ本に「過去は自分の持ったただの解釈」っていう表現があって

わー。ほんまやー。ってなりました。

 

その過去が良かったか悪かったかは、今次第。

ていうか、そもそも過去ってほんとにあったのか?!記録には残っているけれど

過去に生きているひとは誰もおりません。

 

いや、まあ起きた出来事ではあるかもしれないけれど、それを考えているのは「いま」であって

それが意図していない「思考」ならば、「いま」が「思考」づくめになってるっていうことでしかないのですよね

でも、そういうもんなので、笑。

 

ただ戻る。

 

街にいるとき、わたしはひとを見るのが好きなのですが

みんな、喜怒哀楽の何かしらの感情を持って歩いています。

顔を見てるとね、ほんと感じます。

それこそ、それがいい悪いではなくて、ひとがいかに思考と過ごしているかってことに気付く瞬間でもあります。

もし、機会があったら見て見てください。

わたしは、これに気付いたのも、メディテーションを初めてからなので

面白い気付きの一つだなと思っています。

「こころここにあらず」って的確な言葉ですね。

ぼーっとしてるひとに対していうことが多いのでしょうけれどね

 

 

うるさいでしょうけれど。笑。

「ただの思考」です。

 

うるさいでしょうけれど。

意図しない、実在しないストーリーならば、わたしは「今」になるべく居たいなと思います。

 

うるさいでしょうけれど。ね。

 

・・・

 

あれ、題名「ジャッジしない」より「ただの思考」の方が良かったかしら。

でも、お伝えしたかったのは「ジャッジしない」ことだしな。

そもそも意味わかんなかったらどうしよう。

思ったままに書きすぎたかしら・・・

ああ、なんだよ、考え始めてしまった・・・。

てか、だめじゃん、ジャッジすんなとか言っておいて考え始めてしまった言うてるやん。

いや、そもそも、だめじゃんって言うのがだめじゃん・・・

 

 

裁判始まった・・・。

 

戻ります(* v v)。

 

 

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